出不精で、自分から文章を書いて出ていくということはほとんどないのですが、こうしてお誘いを受けて外に出てみると、自分のなかで新たに発見することもあって感謝しています。
ある人類学者が、たとえばノートひとつとっても、記録可能な範囲が制約されることによって観察したものの記録も制約されるというようなことをどこかに書いていましたが、原理的には分量無制限のはずのブログは(読んでもらうことを考えると)視覚的な限界を想定せざるをえず、言葉はどうしても短期決戦的なものとして、短く切り詰めざるをえないものなのかと、思いました。
いま、その本のことを思い出したのは、ブログという最近の表現形態が、人によっては自分の秘め事を他人に見せているにすぎず、まさに「自己暴露」の横行にしか見えないらしいということを知ったからだ。他国の状況は知らないけれど、もし日本で増殖しているブログの内容がもっぱら自己暴露的であるとすれば、日本の近代以降続いてきた「私小説」の伝統はここにきて一気に「一億総私小説作家」にまで立ち至ったと見ることができるのかもしれない。
もちろん、いまネット上にあるすべてのブログに目を通してその中身を断じることができるほどのツワモノが、


