An Editor in columns コラムの中の編集者
ロシア文学を専門に出版している群像社の編集者がつづるエッセイ、日記、本の周辺をめぐる話から日々の雑感
編集の仕事って何ですか?
[5] 「本の編集の仕事って何をやるんですか」とときどき聞かれることがある。たしかに著者(または著者と訳者)がいて、原稿ができあがってそれを印刷所にもって行き、あとは製本所にまかせれば本はできるだろう、と思われても不思議はない。本のデザインは装丁家がするし、ただ間にはいってうろうろしている編集者ってなんなのさ、と言われると、一瞬言葉につまるときもあった。たしかに編集者がいてもいなくても本はできるだろう。それでも、いたときといないときでは本が違う(はず)と思っているのが「編集者」なのかもしれない。

 編集の仕事といっても、なにも本にかぎった話ではなくて、たとえば去年、朗読CDをつけた本をつくるために録音スタジオをいくつか下見でまわったときには、はじめて録音の「編集」の人から話を聞く機会があった。映画の編集なら余分なコマを切ったり流れを変えたりと、作業内容のある程度の想像はつくし、ものによっては監督(ディレクター)と共に作業をする重要な位置を占めるということは分かる。ところが録音スタジオの編集となるとちょっと分からない。

 本の編集という仕事柄、紙の上の文字を追うことにはなれているけれど、音については
ズブの素人。うまいへたはともかくとして、声の出る人ならだれでも録音ができて、誰でも再生して聞くことができると思っている。素人がテレビやラジオでしゃべっていても、さほど聞きづらさが前面に出ることもない。人の声はとりっぱなしで生のままで充分聞けるものだと思い込んでいる。ところが、立ち会ってみてびっくり、わたしたちの出している声はいかにノイズが多いことか、そのままではいかに聞きづらいものかということを身をもって(耳をもって)知らされた。口をあけるときのリップノイズをはじめ、さまざまな雑音をコンマ何秒単位まで消していって、ようやく人間の耳で聞いてきれいな音になるという。ふだん耳にしているテレビの音などは耳障りな周波数をバッサリ切っているから、とりあえず聞けるのです、と。

 できあがったものだけ見ていると、本の編集者も音の編集者も、いてもいなくても同じと思われかねない職種。一方は目を皿にして、一方は耳をそばだてて、一日はりついて仕事をしている。丁寧にやろうと思えばきりがないし、手を抜こうとすればそれなりに抜ける。編集の仕事はどこか似ている。そういえば、先日とあるお店のカウンターで横にいたお客さんが飲食店のプランニング(という言葉が正確かどうか記憶があやしいけれど)を職業でしているひとで、しかも一人で仕事を請けてやっているという。素人は料理人がいて店舗スペースがあればそれで飲食店が成立するのかと思っていたけれど、やはりそうやって間にはいる人がいると違うという。それを聞いて、編集の仕事に似てますね、と。

世の中には、いてもいなくてもいいと思われがちな職業が意外とたくさんあるのかもしれない。そういうふうに間にはいっている職種がもしなくなってしまうとしたら、あちこちで剥き出しの生の素材がぶつかりあって、世の中どんどんギスギスしてくるような気がする。と思うのは編集者の偏見なんだろうか。(07.1.23)

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