An Editor in columns コラムの中の編集者
ロシア文学を専門に出版している群像社の編集者がつづるエッセイ、日記、本の周辺をめぐる話から日々の雑感
読む力
[4] 毎年、読書週間になると新聞各紙で読書に関する世論調査が発表され、毎年のように「若者の活字離れ」が嘆かれている。少なくとも自分が子どもだった頃から「最近の若者は本を読まない」と言われつづけている気がするから、おそらくもう2-30年分は本を読まない若者がストックされて大人になっているんじゃないか。ということは、本を読んでこなかった大人がいま、胸をはって(?)「最近の若者は本を読まない」と叱っているわけだ。

 そんな思いを抱いていたら、今年の毎日新聞の読書世論特集(10月26日付け)で書評家の豊崎由美さんの寄稿が目に留まった。――「若い人が本を読まなくなった」という言説は一種の都市伝説のようなものです。…むしろ、本を読まないのは50代より上の世代。…2006年の日本人が、10年前、20年前の日本人よりも本を読んでいないというデータはどこにもありませんでした…と。

 読書家というのは常に少数派という豊崎さんの説はそのとおりだと思うし、本当なら編集者はその少数派から出て当然だとは思うのだけれど、実はまだこの仕事をはじめたばかりの頃に先輩の辛口編集者から、「最近は編集者すら本を読まない」と叱られたこともあるくらいで、わが身を振り返ると、決してほめられたものではない。忙しくなれば抱えているゲラを読むのが精一杯で、ふと気づくと「最近、ちゃんと本を読んでいないな」と思うこともしばしば。仕事柄まわりに本や本に関する情報があふれているだけで、「本を読んでいるか」と聞かれると、思わず身がすくんでしまう。いや、「本」になる前のものなら読んでいるんですが・・・と。

 「読書週間」の調査だから「本を読む」ことにテーマが集中するのは当然なのだけれど、考えてみれば「読む」という言葉は何も本に対してだけ使うわけではない。潮目を「読む」漁師、勝敗の先を「読む」勝負師、本以外のものを「読む」名人はたくさんいる。『デルス・ウザラー』のデルスは、動物の足跡を読み、天気を読み、していた。神業と思うほど。自分の言い訳にするつもりではないけれど、「読む」ということの中味をあらためて考えてみないと、単に毎月読む「本の冊数」のアンケートだけでは「読む力」をとらえることはできないんじゃないだろうか。

 先日、出張先の京都の居酒屋で、「お造り3点盛り」というのがあって、これが関東では「お刺身3点盛り」になるんだよね、と同席の友人とお品書きを「読んで」いた。試しに東京で「お造り」と言ったら通じなかったという体験談を語りながら、「身を刺す」という物騒な表現を京都文化は嫌うのかねえ、と行間を読み始める。さすが秀吉公刀狩りのお膝元と感心していたら、お造りの太刀魚は「立魚」と書いてあった。やはりこれは言葉の刀狩? 衰微した読書力ではここまでの推察が精一杯で、あとは酔いに流れた京都の夜だった。 (06.11.23)

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