An Editor in columns コラムの中の編集者
ロシア文学を専門に出版している群像社の編集者がつづるエッセイ、日記、本の周辺をめぐる話から日々の雑感
声に出して読めない日本語(2)
外国語の学習で読解よりも会話が尊重されて、いわば目より耳を主とする勢力が強くなるにつれて、外国語を片仮名表記するときにも綴りより原音をできるだけ再現しようという傾向が強まってきている。その流れに従えば、モスクワは「マスクヴァー」となり、ラジオは「レイディオ」としなければならないはずだが、いったん日本語のなかに定着してしまったものは、そう簡単にはくつがえせない。そもそも外国語にある子音の連続は母音を間にはさんだ日本語の仮名では完全に再現することはできない。どんなに会話重視、原音主義の傾向が強まったとしても、外国語の名詞の片仮名表記は、あくまで日本語の発音の粋をこえることはないのだろう。

初めての外国人名を片仮名で表記するときには、綴り字を基本にしつつも、せめてアクセントくらいは原音にのっとって定着させたいという気持ちははたらく。群像社で初めて出したペレーヴィンをペレヴィンにしなかったのは、「ー」なしで「ペーレヴィン」や「ペレヴィーン」と読んでもらいたくなかったからだ。映画監督の「ソクーロフ」も原音主義者ががんばれば「サクーロフ」になったかもしれないけれど、やはり「ソクーロフ」で落ち着いた。「ヴラジーミル」のように、ロシアでは「ヴラジーミル」でも英語圏に行くと「ヴラジミール」になるというような、ややこしい運命を担う名前にいたっては、ロシア派がかなりがんばっても「ウラジミール」派をまだ駆逐できないでいる。

いっそ混乱を避けるために「ー」をいっさい入れないという手もある。「ドストエフスキイ」をわざわざ「ドーストエフスキイ」とか「ドストーエフスキイ」とか「ドストエフスーキイ」と読む人はいないだろうと思えば、「ー」なしでもいいのかもしれない。実際、はじめて見る名前でアクセントの位置がはっきりしない人名もある。ドストエフスキイという名前も最初は「ドストーエフ」という地名からでていたから、「ドストーエフスキイ」と発音するのが普通だったいう。たしかに「ー」はやっかいだ。日本の新聞はそんな面倒に関わりたくないと思っているからか、それとも紙面節約のためか分からないけれど、極力「ー」をいれないようにする傾向があるようで、ロシアの大統領になったプーチンも当初「プチン」とされていたらしい。間もなく改められたようだが、もし、プチンのままだったら、この政権もこんなに長続きしなかったかもしれない? その前の「エリツィン大統領」については「イェーリツィン」を強く主張するロシア通の声があったものの、結局定着しなかった。(つづく)
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