まだいまよりは若かった十代、二十代の頃、読む本を選ぶときに、著者が物故者かどうかを基準にしていたことがあった。いつも死んだ人の本ばかり選んでいたのは、人は死んでから変節することはないだろうという安心感があったからかもしれない。そのうちそれは単なる遺作嗜好のようなものになって、生前まったく関心をもっていなかった作家でも、亡くなると急に最後の作品を読んでみたくなるということがしばしばあった。三島由紀夫を読みはじめたきっかけはたしかそれだったし、石原慎太郎も自分が高校生の頃死んでいればきっと全作読み漁ったにちがいない。
じつはその傾向はいまでもをひきずっているところがあって、最新のベストセラーは相変わらず苦手だし、現役バリバリの作家の本に手をのばすことは、なんとなく敬遠している節がある。たまに読むにしてもたいがいはひとまわり以上の年長者の手になるもので、それもこの人には生きているうちに裏切られることはないだろうな、と思う相手ばかりを選んできた気がする。
ところがどうしたわけか今年は、ここのコラムで書いた三崎亜記にはじまって、偶然のアキつながりとなった佐藤亜紀がきて、ついいましがた読み終わったのがリリー・フランキー。