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編集者 虫の息日記 Editor's note in Mushi-no-iki
ロシア文学を専門に出版している群像社の編集者がつづるエッセイ、日記、本の周辺をめぐる話から日々の雑感
『俺の職歴 ゾーシチェンコ作品集』 翻訳者アフタートーク(3/最終回)
俺の職歴 ゾーシチェンコ作品集』 翻訳者アフタートーク(3)
―あらたなる挑戦へ―


――今回の作品集で一番翻訳者泣かせだったのは、「子守、もしくはこの職業における余剰価値について」という長い題名の作品だったわね。
――あれを訳すことにしたのは、「ゾーシチェンコを偲ぶ会」でコベンチューク画伯が、「痛みも忘れるほどおもしろかった」とこの作品のことを書いていたから。
――ところが、そのおかしさを日本語で伝えるのは、至難の業だった……。
――ゾーシチェンコの作品って、初期のもののほうがユーモアがストレートでわかりやすかったよね。「子守、もしくは……」は、もっと後の時代の『空色の本』のなかの一編だから。
――『空色の本』は、壮大な構想のもとに作られた短編集。各章の始めにゾーシチェンコは歴史的な考察や世界観をとうとうと述べているよね。今回紹介した3つの小編だけでは、そこまでは伝えられなくて、ちょっと残念。ほんとなら全体を訳して見てもらったほうがいいんだろうけど。
――でも、日本で最初のゾーシチェンコの単行本だから、いきなり盛りだくさんにして読者に引かれても困るんじゃない?
――解説を読んで、社会主義リアリズムの全盛期にこんな話が書かれたなんてびっくり、と言ってくれた人がいた。もちろん、ある程度、ソ連の文学史を知ってる人だけど。たしかに“社会主義建設に奉仕する文学”というイメージとはかなり違う。
――「リョーリャとミーニカのおはなし」が書かれたのは1930年代後半の、世界がだんだんキナ臭くなっていくころ。そんなときに、ゾーシチェンコは子ども時代の思い出を書いてたわけだよね。こういう話が今度の作品集に入ってたことで、ゾーシチェンコという作家の幅の広さを感じたって言った人もあった。
――「ユーモア作家」って簡単にくくっちゃえないよね。「ソ連の文学は社会主義の発展に貢献すべきだ」という時代に、ゾーシチェンコの作品ときたら、ワイドショー・ネタになりそうなごたごた話や色恋沙汰ばっかり。たてまえばかりのテレビ番組にウンザリして、チャンネルを変えてみたら、「ああ、それあるある」って感じの番組やってた、みたいな。
――それって、大阪局制作の、どぎついドタバタ番組みたい(笑)。
――そこまで言ってしまうと、言い過ぎかもね。
――コヴェンチュークさんの「ゾーシチェンコを偲ぶ会」を読んで、ユーモア作家という面と、批判されて沈黙せざるをえなかった作家という面のギャップに驚いた人は多かったみたい。
――体制から抹殺された作家っていうと、ソルジェニーツィンのような反体制作家をイメージするかもしれないけど、ゾーシチェンコはそうじゃないよね。
―― 一般的なロシア文学のイメージからもはずれているし、どこにも属さないような独特の作家って言っていいのかも。 
――今回、群像社の島田さんに「ゾーシチェンコなので、翻訳ももっとハメを外したものになるかと思ってました」って言われたのには、ホントびっくりした。
――そうそう。それを最初にきいていたら、もっとハメを外していたわよね、きっと。
――日本中の読者の目にふれるのだから、いくらゾーシチェンコでも、あまりお行儀悪くしちゃダメ、みたいな自己規制が多少はあったと思う。
――「島田さんに恥をかかせるな」が合い言葉になってて!(笑)
――ゾーシチェンコ作品の語り手の馴れ馴れしい語り口、「大阪弁なら、このニュアンス出るのに」と言ったことが何度もあったね。
――でも、「群像社」から出すんだし、と思った。
――それが逆に、本が出てから島田さんから「大阪弁もありだったかも」って言われて……。
――ゾーシチェンコだから、だろうね。
――島田さんは去年の震災のあと言葉に対する考えが変わったんだって。島田さんがね、「日本中の人がみんな、標準語っていう同じ言葉を喋らなければいけないなんていう理由は、よく考えたら、もうない。井上ひさしの日本語論によると、標準語は軍隊での命令がスムーズにいくためだった」って言ってた。それでいったら、ゾーシチェンコの言葉は軍隊用の言葉じゃないからね。
――そうは言っても、大阪弁訳では、一般読者に受け入れられないだろうと思ったのだけど、島田さんは、「外国文学の読者は日本全国で3千人、標準語でがんばって全国販売3千部なら、大阪弁の地域限定販売で3千部をめざす方がいいかも」って。
――彼の熱気にあおられて、挑戦したのよね、私たち。「犬の嗅覚」っていう短編の大阪弁訳を。
――でも、想像以上にむずかしかった!!
―― ほんと。やっているうちに、なにが大阪弁かわからなくなってきたりして。
―― それでもなんとか仕上げたのが、今度「」に載るんだって。読者の皆さんからどんな反応があるか、ちょっと心配……。
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『俺の職歴 ゾーシチェンコ作品集』翻訳者アフタートーク(2)
俺の職歴 ゾーシチェンコ作品集』 翻訳者アフタートーク(2)
―「1930年代の作品」編―

■編集部 ゾーシチェンコの「湯けむり奇譚」は落語というよりは、よくできたコントですね。タイトルを工夫してもらいましたが、原題を英語にしたらA Water Fairy Taleでしょうか。この作品だけでも充分短編映画になりそうな映像が浮かんできます。他人のホテルの部屋に押しかけて図々しく風呂に入る変な人間を、この作品集に収められたほかの短編の主人公にして順番に自慢話や失敗話を語らせて、その間にどんどんバスタブにお湯がたまってあふれていくというこの話のストーリーでひとつにまとめたら、オムニバス形式のコメディー映画にもなりそうです。では、アフタートークの続きをどうぞ。

――「湯けむり奇譚」は最初はちがうタイトルだったけど、「なんとかなりませんかね」って編集の島田さんに言われて、苦労して考えた甲斐あって、ロシア語の分かる人に名訳だと言ってもらえました。
――この話もそうだけど、「まあ、俺の話を聞いてくれよ」っていう物語が多くて、そうすると読んでるロシア人は「うん、あるある」って感じの笑いになるんだろうね。当時のロシア人がこれを読んで笑い転げていたってところを「込み」で読むと、ロシアに多少なりとも関心を持っている人間にとってはこんなに面白いものはないって言ってくれた人もいる。
――ゾーシチェンコ自身がこういう体験をしたのかな、って思わせるところもある。
――「俺の職歴」は特に。作家自身がいろんな職業を転々としてるし、「わが病の顛末」もそうかな。あまり健康じゃなかったんだよね、ゾーシチェンコ。
――日本の読者で、病院経験豊富そうな(?)人に、これが一番気に入ったって言ってもらえた。途中の展開はともかく、最後の一句「それで、今じゃ病気は家ですることにしている」は、当時のロシア人じゃなくても、いまの日本人でも「あるある」感は共有できるんじゃないかな。
――いまの日本もそうだけど、この頃のロシアは世の中ががたがたしていた時代だから、素人でももぐりこめる仕事の隙間がいっぱいあっただろうし、逆にちゃんとしてないと困る病院みたいなところが、かなりいいかげんで。
――「茅はさやぐ」の酔っ払いの司祭なんか、かなりタガがゆるんでるというか、壊れてる。
――そんな社会が落ち着いてくると、だんだん役人的な体質の人間が多くなるような。
――笑いの質も変わってくるのかな。どっちかっていうと風刺とかパロディーのような。
――「証明写真」の巡査部長も「」の車掌も融通のきかない小役人タイプ。じゃあお客がまともかっていうとそうでもないし、「証明写真」に出てくる写真屋の適当さはかなり度をこしてる。それでも、なんとか問題を解決して、やれやれ、やっと一件落着。「ほんとにもういいかげんにしてくれよなって」いう声が聞こえてきそう。
――「最後のいざこざ」みたいに、死んだおじさんも、すんなりあの世に送り出してもらえるかと思ったら、葬式でまた一騒動。なんとか葬式をあげた甥っ子に、このあとまたどんな「いざこざ」が待ってるかと思うと・・・。
――この甥っ子が次の「証明写真」の話の主人公だったりして。
――どんどん役人天国になっていく世の中で、下のものには強く出るくせに、上のものには弱いのがお役人様の典型が「医者の先生」に出てくるよね。ヤミ屋だと思ったらお医者様だと分かって手のひら返したみたいにペコペコ。
――もともとは同じような小さな人間なのに、ちょっとした立場の違いでずうずうしくなる隣の人。わたしたちのまわりにも、そういうの、「いるいる」って感じでしょ。
――男女平等を高らかに唱えてたソ連社会で、男と女の話は対等っていうかある意味、対等を越えてるから面白いよね。「悪妻」や「三つのハート」のカミさんなんか、亭主以外の男を好きになったり、自分にとって得だと思うと、周囲の事は考えずに突進する。良く言えば正直で自由奔放、悪く言えば非常識、わがまま。
――「三つのハート」で一番心臓に毛が生えて強いのは、娘が出て行って、新しい女性が家に来たにもかかわらず、元婿殿と平気で暮らしている65歳の母親。当時は都会の居住権をゲットできるチャンスなんてめったになかったから、きっと死んでも出て行かないよ。
――「さっさとおやすみ」の隣の女もかなりの勢いで男を怒鳴りつけてるけど、こっちは最後「いい感じ」でカップル誕生。
――基本的には、世の中うまくいかないこと多いよなって感じだけど、この話と「湯けむり奇譚」だけは逆転勝利。

(第3回~最終回~につづく)

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