本を送るときに、まったく一筆も添えないで送りつけるのはいくらなんでも相手にとても失礼だから、誰だって何かひとこと書いて入れたくなるだろう。それがいわゆる「送り状」なら書籍小包(ゆうパック)でも許されるけれど、ちょっとでも「手紙」になると、とたんに書籍小包としては認められなくなるのは、どうしても納得がいかないと前々から思っていたけれど、その理由はどうやら手紙が「信書」という特別なものだから、らしいのだ。
一般に私たちが手紙といっているものは、お役所的には「信書」のひとつで、「通信の秘密は、これを侵してはならない」という憲法21条2項の精神にのっとって、信書はいまでも民営化された郵便事業株式会社、つまりお上の息のかかった限りなく役所に近い企業だけが取り扱えることになっている。信書は中身が見えないように密封された封筒で出さなければならない。以前、わが社の通信を発送するときに、封筒代を少しでも節約しようとして帯封にしてもっていったら、密封されたものでなければ定形郵便物として扱えませんと突っ返されたことがある。そういう信書を日本全国、安全に平等に届けるのはいまだに郵便局だけができる独占的な業務なのだ。最近うちでもよく使っているヤマト運輸の「クロネコメール便」の出荷票には、品名の欄に「この荷物は信書ではありません」という一文があって、出すときには必ずそこにこちらがイエスのチェック印を入れることになっている。民営化された郵政以外の業者は信書の配達をしてはいけないという決まりがあるからで、まるで民間企業は通信の秘密をおかしかねないから任せられないぞ、とお上が言っているようなものだ。
信書とは「特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、又は事実を通知する文書」(平成15年総務省告示第270号)ということで、手紙はもちろん、請求書、証明書、招待状、ダイレクトメールもすべて信書にあたるらしい。郵便局はその信書の秘密を守ることを独占的にまかされ、信書以外のものなら他の民間企業の参入も許している。それは、裏を返せば、信書以外の通信は秘密を守る必要がないと言っているようなものだ。書籍小包は中が見えるようにして出すことになっているから、ひょっとすると中に手紙らしきものが見えたら、郵便局員は開封して読んででもかまわないという内規ぐらいあるんじゃないかと勘ぐりたくさえなる。本を一冊送ることが「受取人に対して、差出人の意思」を表示することはいくらでもあるのに、それは信書のように秘密保持の対象にはならないと言うのだろうか。書籍小包などよりはるかに安い第3種郵便の、帯封などで中身がはっきり分かる郵便物、たとえばどこかの政党や宗教団体の機関紙には、受取人に対する差出人の意思は含まれていないと言えるのだろうか。
通信の秘密保持をうたった憲法第21条は表現の自由に関するもので、第1項の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」に続いて、第2項が「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」となっている。つまり、民営化された郵政が信書の独占的取り扱いをしているのは、民間企業は検閲をしかねないと政府が言っているのと同じことではないのか。民間が検閲? 検閲なんて古来国家権力側のお家芸。個人情報保護を各業界にうるさく徹底させている国なんだから、それを信書の配達にもあてはめれば、民間の業者だって充分秘密保持につとめるだろう。信書の配達に関してだけは民間にいっさい手を出させないというと、逆に何かそこに手放したくないうまみでもある(検閲する?)のではないかと疑いたくなる。郵便法ではそもそも「郵便物の検閲は、これをしてはならない。」(第7条)と規定されているのだから、何も信書だけ特別扱いすることもない、すべての郵便物の秘密が守られるべきだろう。
請求書や納品書が「特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、又は事実を通知する文書」であるということで信書のなかに含まれてしまったせいで、本を出版社から直接買いたいという人に請求書や代金の払込用紙を入れて書籍小包(ゆうメール)で送ることは許されない。本の安価で自由な流通は、この信書の壁にはばまれて、ずいぶん制約されてしまっている。書籍小包をもっと安くしてほしいとさえ思っているこちらとしては、できれば多くの人が本に手紙を入れて、「この本、面白いですから読んでみてください」と「特定の受取人に対し」て、「差出人の意志」を伝えていくことで、本を読む人の輪が広がってほしいと思うのだけれど、今日もあちこちの郵便局で、穴から中をのぞきこまれ、「手紙は入っていませんね」というひとことで多くの人を不快にさせているにちがいない。信書の壁さえなければ本はもっと自由に動きまわれるのに!
仕事のほうは確かに三つ重なったときは大変は大変だけれど、申告は今年も無事間に合いそうだし、ロシア文化通信『群』もなんとか月末には発送の予定、そして8月は新刊が2冊。三重「苦」ではなく、作る楽しみに追われたというべきでした。8月ひとつめの新刊は作曲家プロコフィエフの短編集―まだ日本ではその存在を知る人すら少ないはず。「目で聴き、耳で読む」というキャッチフレーズは訳者提案のコピーです。そして、もうひとつは『猫の町』というロシア発の予言的ミステリー。なんと30年前に書かれたこの作品は、猫好きの町が猫インフルエンザにおそわれるという、最近の感染パニックを予言するかのような物語。これも日本ではまだ知る人は少ないはず。村上春樹の『1Q84』のなかに『猫の町』という作品が出ているらしいけれど、それは単なる偶然の一致ですが、おもしろいこと請け合いです。ご期待ください。
詳細は、近日中にホームページ上の新刊案内に掲載します。
引越し早々、「この本売ります」に問い合わせをいただきました。ページは古いですが消していないものはまだ持っています。引越しで整理しながら、また少し出せるものが見つかりましたから、こちらもそのうち更新します。


